じっくり読む話、展開を楽しむ話

こんにちは。

小山内藤花です。

 

小説を読んでいて思うことがあります。

 

いわゆる純文学といわゆる大衆文学では、

読み方が異なってくるのではないか……?

 

ということです。

 

もっといえば、

 

頭の中で楽しんでいる領域が異なっているのではないか……?

 

ということです。

 

 

例えば、

いわゆる大衆文学の場合は、

ストーリーや個性的な人物たちのやり取りを楽しむためにどんどん読み進めていきます。

 

 

一方、

いわゆる純文学の場合は、

じっくりゆっくり、時には気になった箇所を声に出したりしながら読んでいきます。

 

というか、大衆文学と同じスピードで読もうと思ったら、

「??????」

がたくさん浮かんで、ただ字面だけを追うことになり、

面白さを見出せなくなってしまいます(笑)

少なくとも、自分の能力では無理です。

 

 

 

個人的には、

大衆文学と純文学との間には、境界線のようなものはないとは思いますが、

 

ストーリーや魅力的な人物たちのやりとりを味わいたくて、大急ぎで字面を追っていった時に、

理解が追い付かない、面白くない、

という感じが出てきたら、一旦熟読するようにしています。

 

反対に、

熟読している時に、

今一つ面白くないと感じた時は、

展開を楽しむようにしています。

 

 

大衆文学には大衆文学の、

純文学には純文学の楽しみ方がありますし、

 

もう少し突っ込んでいうと、

作家それぞれの読み方があるのではないか、

あるいは、

もっと面白い読み方があるのではないか、

と思ったりします。

 

 

などなど、

普段ぼんやりと見逃してきた物語も、別の角度から見ると案外面白かったりするものは多々あるのではないかと、

色んな可能性に思い至る今日この頃です。

 

生きている中で、多くの面白いお話に巡り合いたいなあ……

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。