迷走中――「働く」とは!?

こんにちは。

小山内藤花です。

 

働くことについて就活中ずっと考えています。

 

「働く」とは何か? どうして働くのか?

企業説明会や就活イベントや、面接の時の逆質問とかでも聞いたりします。

 

そうすると、色々出ましたけれど、大体は次のような感じでした。

 

1. 生きていくためには、お金が必要だから、お金を得るために働くのだけど、その為にはお客にとって価値のあるものを提供しなくてはならない。それだけの価値のあることを責任を持ってすること。

 

2. 仕事は手段であって、自己実現のため、夢の実現ために行うもの。

 

1. は、まんまですね。

仕方なく働く。でもその過程でプロ意識を持つようになって、自尊心なんかがそこに付随してきたりもする。

 

2. は、ベンチャーとかに多かったのですが、

自分の死ぬ時のことを考えて、どんなことを生きている間にしたいのかを考える。

持ち家が欲しい。

モテたい。

子供5人くらい欲しい。

人から尊敬される大人になりたい。etc.

それからそれを実現させるためには何が必要かを考えて、企業を選んでいく。

 

ありがとうと言われるため、というのも、こっちにはいるのかな、と思います。

社会的に認められたい、という欲求を満たすものですから。

しかしベンチャー企業とかとはちょっと違うのは、究極的には利己的な欲求に基づくものでありながら、表面的には、少なくとも行動主体の意識上ではかなり利他的、「ありがとう」と言ってもらうために働いている、という側面が強いのが特徴的かなと思います。

 

自分もゆくゆくは社会的な人間として、感謝されるために、自分の仕事は誰かの役に立っているのだという自覚や誇りをもって働くことができればとは思っていますし、

その感覚を知るために就活をしているのかな、と現時点ではそのような結論を抱いているのですが、

迷いとして抱えざるを得ない部分がありまして、それは、

自分の行っていることが果たして、本当に人々の役に立っているのか、ということです。

 

例えば、あくまで例えですが、

自分がおいしいカップラーメンを作っているとして、

それは人々にとってもうれしいものですが、

それを恒常的に摂取すると、健康的にはあまりよろしくない。

 

そのような場合、果たして自分は誇りを持って仕事を行うことができるのか、ということです。

そんなもの消費者の意識の問題だろう、と考えるのは簡単ですが、この消費社会は人々の欲望を引き出すことで成り立っているわけで、人間というものはチンパンジーと大差ない、本能に従順な生き物ですから、欲望を刺激しすぎるのは、本当に人の役に立っているのか……

などなど、なかなか迷走しています(;´・ω・)

 

まあ、自分の社会に及ぼす影響力などたかが知れていますので、あんまり深く考えなくてもいいのかもしれませんがね。

 

ある企業さんの最終選考で、代表の方とお話しする機会があったのですが、

その方は、

ありがとう、って言ってもらえるだけでいいじゃない。そう言ってもらえるだけで何だってやってやろうって思うよ。

と、おっしゃっいました。

 

これまで聞いてきたような話ではあったのですが、大変感心したのはその言い方です。

社会的正義を説く感じでもなく、代表という立場の人間として言わねばならないことをいっているという感じでもなく、

それがその方個人の中で、さも当然のことであるかのように、そして若輩者の自分を諭すように笑いかけながらおっしゃっていたのです。

 

正直すごいなあと思いました。

 

この発言で自分の考え方が全く変わってしまった、ということにはなりませんでしたが、このような方もいるんだという強い印象は残りました。

それぞれがそれぞれの考えの基に行動している中で、こうした方のような存在は尊いなあ、としみじみ感じました。

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。