月か6ペンスか

こんにちは、小山内藤花です。

 

二回目の投稿にして早くも感じる……

 

何を書いたらいいのか分からない!!!!

 

 

 

いや、何でもいいのは分かっちゃいるんです、分かっちゃいるんですけど、読者の方々のため少しでも実のある記事や、興味深い記事、笑える記事などを書くべきなのか、

 

あるいは、

本当に独りよがりの、心の中に渦巻いているものを苦しみながらでも書きなぐっていって、心の浄化、昇華の助けとするべきなのか……

 

 

 

『月と6ペンス』

という小説をご存知でしょうか?

 

月と六ペンス (岩波文庫)

月と六ペンス (岩波文庫)

 

 

 

ストリックランドというポール・ゴーギャンがモデルとなっている人物を、「」が語っていくんですけど、その「私」は割と生活のための書き物をしている反面、ストリックランドは家庭も生活も顧みず、何かに憑りつかれたかのように絵を描くんですね。

 

この小説の肝に、芸術(月)か生活(6ペンス)かという主題があるように思われるのですが、

私にとってもこれは悩みの種です。

 

自分自身は幼少期から俗世界の中で育ち、今もエンターテイメントが好きな人間で、どちらかと言うと完全にお金欲しい派ではあるんですけど、

 

やはり何か書くからには、普遍性のあることであったり、劇薬を調合してみたくなったりするわけで、

これを追求しすぎると「???」の嵐が飛び交うこと請け負い、

てんで誰も相手してくれなくなるのが世の習い、

このモームさんのように生きている間に喝采を受ける人もいるにはいるんですけど、なかなかそうはいきませんよね。

 

というか、自分はそもそもそんな大芸術家を志しているわけでもないですから、こんな意見はハナからおかしなものなんですけど。

 

ただ、月と6ペンスという象徴をお借りするならば、自分は、

 

6ペンスをしっかり握りつつ、その硬貨の表面で月の光を反射させて、チラッチラッと人の顔に当てるようなことをやりたいのです

何かあるぞ、と思ってくれる人がいればそれでいいし、いないならいないでいいと飄々と構えていられるようになりたいのです。

 

 

まあ、結局言いたいのは

独善的で行くか、読者の方の反応をしっかり観察して、ウケるものを書くのか

ということですね。

心に浮かびゆくよしなしことを、そこはかとなく書きつくっていっても、

それが面白いかどうかは分かりませんし、自分のためになっているのかも分かりません。

 

タイピングの練習にはなりますけどね。(笑)

 

 

 

 

とまあ、今日はこんな感じで書いてみたわけですけれども、思ったより時間がかかった気がします。

 

継続させていくのがまず第一目標ですから、今のところは適当三昧でも自分自身に対して大目に見ようとは思いますが、いずれはちゃんとしたものも適宜載せていければと思います。