その時代の人

こんにちは。

小山内藤花です。

 

お盆中に、 祖父母の家に泊まりに行きました。

 

 以前はそれほどしゃべることはなかった祖父母ですが、最近お酒を酌み交わすようになって、ようやく会話らしい会話ができ、

二人の人となりを、少し知ることができたのかな、と思うようになってきました。

 

そして、二人を見て感じるようになってきたことは、

祖父母は、自分ら平成生まれの人間とは、

生きている感覚が違う、ということです。

 

 

祖父も祖母も場所は異なりますが、山の方の百姓の生まれで、祖父は百姓が嫌で、勉強が嫌で、中学卒業して家業の手伝いや、丁稚奉公のようなことを経た後、新聞の求人に応募して、某繊維会社の工場勤務を始めたそうです。

 

お酒が回るといつも就職時のいきさつを何度も繰り返し話します。

 

「どの会社がいいかなんてことは、わしはよう分からんけど、一つ言えるのはな、

資本金が大きなところがええぞ。

何でかっていうと、安定しとるからだな。

わしが働くときも、どの会社がいいかなんてよう分からんかったから、とりあえず職業安定所に行って、○○(同じく繊維会社)に行こうと思っとったんだけど、

その安定所の人が言うにはな、

『君、○○に行くんだったら、資本金の大きい××(定年まで働くことになった会社)の試験も受けたらどうだ?』

って、こう言ったんだ。

だからわしは『ああ、そんなら行きます』って言って、その会社受けたわけだ。

だめでもともとだ。

で、そしたらなんと、

受かってたんだ。

なあ~。

あの時、よう受かってたと今でも思う。

で、気付いたら定年。うん、あっちゅう間。

定年なるまで働けたのはな、やっぱり資本金がたくさんあって、安定してたからやな。

そう考えると、ホント、わしなんか運がよかったと思う」

 

と言ったようなことを、繰り返し繰り返し、

こちらの膝を叩いたりしながら、感慨深げに話してきます。

 

祖父は認知症で、

祖母なんかは「また同じ話して~」とあきれ返っています。

自分としてもちょっと聞き飽きた感がありますが、

罪のない酔っぱらいの話、

その姿ごと、何かの遺物のような感じで興味深く眺めています。

 

まさに遺物、時代の生きた証のような人。

高度経済成長期に、昼夜3交替制のブルーカラーとして、昇給や昇進こそなかったものの、定年まで働くことができ、それなりの額の退職金が出て、現在も年金で暮らすことができている、大衆の一人。

日々言われた作業を淡々と繰り返し、お酒とゴルフを楽しみに生きている労働者。

 

娘と孫を身内の者として、ほぼ盲目的に愛し、孫たちが早く皆、立派に就職して、結婚してくれることを望む、善良な一市民。

 

ああ、これがその時代の人間なんだろうなあ、と祖父の話を聞きながら、その生涯に思いをはせるとき、大変興味深く思います。

 

 

そして現在85歳にして、脳梗塞や糖尿病などの影響もあり、一日中家に閉じこもってテレビを見ています。

生来のひょうきんさと、明るくてそそっかしいその妻とのくだらない平和なやりとりを日々交わしていることがあってか、

顔を観に行くとまだ元気な姿を見せてくれます。

 

が、腰が痛いからと座椅子にもたれかかっているときに見える、膨れ上がった下腹と、それと対照的に痩せ細った白い脚を見ると、

一抹の寂しさを感じずにはいられません。

 

認知症は進行し、進行していることを他人に認められることを恐れているせいもあってか、他人と会うこともないようで、

壮健であった頃、日曜大工を器用にこなしたり、スポーツの大会で賞を取ったり、軽装で富士山に登ったりしていた頃と比べて、

現在なんと多くのことができなくなっていることか、ということを痛感しているのでは、

と、勝手に想像したりしていますが、あながち見当はずれな想像でもないでしょう。

 

娘や祖母が、認知症予防のため、あの手この手をやってみようと勧めるのを、

全部うるさがって、結局最後には、居心地の良いテレビの前へ。

そして晩には徳用の安い焼酎を飲んで、眠りに就く。

これ以上の変化は望んでいない模様。後は死を待つだけ。

 

ああ、こういう風に死んでいくのか、としみじみ思いました。

嫌だなあ、とか、怖いなあ、といった思いよりも、

自分の内を満たした思いは、

なるほどなあ、

というものでした。

 

時代の産物。その時代の、何か得体のしれない大きな生命を構成する一部。

そういう印象でした。

 

 

祖母もまた少しずつ認知症が進行しているようで、同じことを繰り返すことがありますが、

もともとあまり短期記憶がよい方ではないのと、

論理的思考力、批判的思考力の訓練をしてこなかったのと、

それ以上に、

感情で物事を判断する傾向が大きい性質があったのとで、

これまで信頼し、踏襲してきたやり方と、

これから好きになった人が言ったことを取り入れて、生活を構築していくようです。

 

居間に置いてある仏壇に手を合わせて、孫が来たことを口に出して報告する一方で、

冗談を連発して笑わせてくれる、健康食品販売の人の話を信用して乳製品をやめたりしています。

 

ある時、人が死んだらどうなるのか、という話題になった時、

祖父が死んだらそれまでや、とはっきり言いきったのに対して、

祖母は憤然と、

仏さまになるんだよ、と言い返していたを見て、

 

どうしてか尊い存在に思えたことがありました。

どこに尊さを感じたのか、自分でも良く分かりません。

信仰に対するひたむきさなのか、

無垢さなのか。

 

 

二人を見ていると、単なる祖父母以上の存在のような気がしてきます。

幼少期に戦争を山の百姓の家で、戦火を免れて過ごし、

高度成長期の中で所帯を持ち、

娘を持って、定年まで働いた後、

昔から身に染みついてきた生き方から抜け出すこともできず、やがて死んでいく。

 

それを前にするとき、二人に対しては少々失礼なのかもしれませんが、

自分は、興味の眼を持って見つめざるを得ません。

そして、できることなら、もう少しだけ。

 

祖父の話と、テレビ三昧には少々辟易しつつありますが(苦笑)

 

 

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。